カテゴリー別アーカイブ: 【 つぶろぐ 】

日々、思ったこと、感じたことを勝手きままにテキトーに書いてます。

値段がないものは買えません

「いつ(When)、どこで(Where)、だれが(Who)、なにを(What)、なぜ(Why)、どのように(How)」という6つの要素をまとめた、情報伝達のポイントのこと。5W1Hに沿って整理し、5W1Hにあたる内容を相手に伝えるようにすると、情報をわかりやすく、もれなく伝達することができる。~コトバンクより~

いやいや私もツレ(男性)によく「は?それ、いつ?誰が?で?どうやって行くん?」って聞かれることあるので、あまり大きいことは言えないのですが…。

5W1H「いつ・どこで・誰が・何を・なぜ(はどうでもいい)どのように」したのか これをきちんと伝えるのが女性は苦手な人が多いですよね?

特に「主語」がない人。「何を」が「こそあど言葉」になっちゃう人。(お前が言うか?って声がどこかから聞こえてきそうだけど…)

私はこのブログもTwitter(あおい)も結構ふわっとした言葉で書いています。というのは、これらは単に私の「表現」だから。「好きなことを好きなように書きたい」その目的でやっている部分が多いから。(いや、もう少し「宣伝」やれよ…)

でも。

塾の仕事やその他はもちろんのこと、5W1Hは意識しています。またTwitterの裏アカでは社会系のことを追いかけていますので、読んでいても「いつ(When)どこで(Where)だれが(Who)なにを(What)なぜ(Why)どのように(How)」は基本中の基本。基本的に皆さんやっています。基本的にみんなが普通にやっています。

これが現実の世界の掟です。超男性的、論理的な世界です。(結構、鍛えられます。鍛えられています。)

つまりです。

何かを実現したいのなら、ふわっとしているばかりではダメ。理想は地に降ろすことで実現する。地に足をつけることが必要ということ☆

だからです。

宣伝に必要なのは、人を集めるのに必要なのは、物を売るのに必要なのは5W1Hです。

書いてないと 買えません

書いてないと 行けません

そして、

【 How big ?】

大きさがわからないものは 

【 How heavy ?】

重さがわからないものは 

【 How much ?】

値段が書いてないものは 買えません。

(実際、いいな♫と思っても、買えなかったので書いてます。)

なので。

女性の方で宣伝をする方や人を集めたい方は、一度、男性に見てもらうことをお勧めします☆バッサリ言われるくらいの方が、良いかもしれません^^

 

自由とは

『自らに由れば人生は最後まで自分のものにできる』篠田桃紅

 

【安全】=【拠り所がある】

【不安定】=【拠り所がない】

よって 自らの足で立つ。

したがって【地に足がつく】

 

自由というのは 制限がないこと

つまりは 不安定でもあるのだ。

 

だから

自由であるだけ あろうとするだけ

地に足をつける

確としたものがいる

 

 

その2極のバランスをとる

天と地を 統べる

それが 自由ということ

自由を手にすること

 

それは怖れが消えたから

【「本物」と「偽物」】

私にとっての 永遠とも思えるテーマ

もう長いこと その二極に葛藤を繰り返してきた。

 

色で言えば

インディゴが好き

オレンジが嫌い コーラルも苦手

 

隠遁体質で人付き合いが苦手な

私の性質から言えばまさにそのもの。

 

けれど。

 

 

↓ 2カ月前

そして

↓ 今

他にも オレンジとグリーンがあちこちに出てくる…。

正直、 イヤ  (笑)

 

でも しつこいので しぶしぶ セルフリーディング

***********

オレンジグリーン

人との交流に もう仮面をかぶらなくて良い

そのままに心を伝えていけばよい

もう「ありのまま」の私で良い 

本物になるために成長しようとする限り それは偽りの私のまま

本物になるために成長しようとする

その気持ちを手放すのが 私にとっての成長

**********

 

仮面をかぶらずにいても良い

隠遁体質で無問題

 

それを自分に許したとき

不思議と

嫌いだったこと

苦手だったことができるようになっていた

 

克服しよう 頑張ろうとすることをやめたら

嫌いだったこと

苦手だったことすら どうでもよくなっていた。

 

私が何かを克服できたわけではない。

努力して手にいれたわけではない。

 

ただ単に

それは

怖れが消えたから。

 

「権力が大きく見えるのはお前がひざまづいているからだ」

著述家の菅野完さんのラジオから聞こえてきた言葉

「権力が大きく見えるのはお前がひざまづいているからだ」

 

もちろん、彼が話していたのは今の政局、時事問題。

 

けれど。

 

まったく同じことが私達の日常で起こっている。

 

職場の上司

夫や恋人エトセトラ

 

自分より力が強いと思っている相手を

「権力」になぞらえれば

まさに そのとおり。

 

自分がひざまづいていたことに気づき

立ち上がって目を見て対峙する。

 

それこそが

自分を尊び

互いを尊ぶ姿勢

 

そして

立ち上がることは

自分にしかできないのだ。

「ひざまづいている」のは自分でしかないのだから。

差別とは快楽

差別は、いわば暗黙の快楽なのだ。例えば、短絡した若者たちが野宿者を生きる価値のない社会の厄介者とみなし、力を合わせて残忍なやり方で襲撃する時、そこにはある種の享楽が働いているのだ。それは相手を劣ったものとして扱うことで自分を保つための装置でもあるから、不平等な社会では差別は横行する。そして、あたかも問題があるのは差別される側であるかのように人々の意識に根付き、蓄積されていく。

時の権力は、権力に不満が集まらないようにするためには、ただ、差別を放置するだけでいい。そうすれば、いつまでも分断されたシモジモ同士の争いが続く。

他方、差別される側は、差別の理由を求めてさまよう。その理由をなくせば差別されなくなると考えるからだ。しかし、差別するための「理由」は、いくらでも付け足される。結果、自らの努力ではどうにもならない状況が作り出され、多くは無力感を植え付けられていく。

【差別と日本人 野中広務/辛淑玉 より抜粋】

 

差別というと固いイメージがあるけれど、実は私達の日常生活の中で、いろいろな<差>をつけて<別>にしようとする意識が働いている。

 

例えば、あの人はお金があるから、家が〇〇だから、結婚しているから、離婚したから、etc…

 

相手を劣ったもの、あるいは自分よりも恵まれたものと位置付けることによって、我が身を守ろうとする。自分が劣っていると感じているものを正当化する。

 

そして、それが「正しい」ことになってしまっているので、自分は劣っていると感じ続ける。

 

その立ち位置にいるかぎり、堂々巡り。決して幸せになれることはない。