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イエローのアファメーション < エゴ >

キーワード < エゴ >

「私は自分の正直な考えや気持ちを伝えてよい」
「私は<わがまま>であってもよい」
「私は<理性>で考えることを放棄します」

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エゴ=自我 自己を対象とする認識作用

だから、生きてる限り「エゴ」はなくならない。

そして「理性」で考えるときも「エゴ」まみれになる。

 

<わがまま>はダメ <自己中>はダメ エゴイストは罪だ

幼い頃から繰り返し

言い聞かされ 諭され 禁止され。

 

けれど

ワガママとは思い通りに振る舞うこと

自己中心的とは事象を自分の立場あるいは一つの視点からしか分析・認識できないこと

ならば、所詮 人は そういうもの ではないだろうか。

 

だれでも そう なのだから自分を許す

そういう自分 であることを認める

そうすれば 他人を許せる

そういう他人を認められる。

 

エゴイストであっていい。

そう認めたときに エゴイスト でなくなる。

the パラドックス

 

イエローのアファメーション< 自尊 >

キーワード <自尊>

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「私は どんなときも 私が私であることを 許します」
「私は 自分が○○であることを 楽しんでいます」
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「私は ●● である」

「●●」は「短所」「欠点」等の あらゆる「否定」的なもの。

 

 

「私は 〇〇 である」

「〇〇」には「長所」「美点」etc.…の いわゆる「肯定」的なもの。

 

 

「●●」も「〇〇」も 口にのぼせば ただの「まるまる」。

決して 対極にあるのではなく

表裏一体 同じものであるのだけれど。

 

 

それを いつ 誰が

悪しきもの と決めたのだろう?

善きもの と認めたのだろう?

 

他者なくして 自己は解らず

己を解らずに、自らの力で立つことは能わない。

 

「私は ●● で ある。そして 私は ○○ で ある」

 

「けれど」でも「また」でも「だから」でもなく

順接の接続詞で 愛おしんで そう言える。

それが 自分を尊重するということ。

自分を確立するということ。

「独立」でも「孤立」でもなく

しなやかに 自ら立つということ。

 

イエローのアファメーション

キーワード < 子供 >

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「私は楽しいことを優先します。」
「私は無邪気な気持ちで日々暮らしています」
「私は好きなことを目一杯楽しんでいます」

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邪気のない気持ちで 楽しむこと

 

大人にはなかなか出来ないことのように思う。

 

だからこそ、すこしばかり、子供のようになってみることも

時には必要なことかもしれない。