「だれかが水をくんでいるところでした。先生は私の手をその水の吹き出し口の下に置きました。冷たい水が片方の手の上をほとばしり流れている間、先生はもう片方の手に”water”という単語を、始めはゆっくりと、次には速く、綴りました。私はじっと立って、先生の指の動きに全神経を集中させました。突然私は、なにか忘れていたものについての微かな意識、わくわくするような思考のよみがえりを感じました。そして、どういうわけか、言語の持つ秘密が私に啓示されたのです。 私はその時、 w-a-t-e-r という綴りが、私の手の上を流れている、この素晴しい、冷たい物を意味していることを知ったのです。この生き生きとした単語が、私の魂を目覚めさせ、光と希望と喜びを与え、(暗黒の世界から)解き放ったのです。実のところ、まだ越えなければならない障害はありましたが、その障害もやがては取り払われるはずのものでした。」
出典ヘレンケラー第2章(2)
セラピストになりたいと 思ったことはなかった。
「セラピストを目指す」なんて なんだか変だった。
私は 自分の心を 知りたかった
自分自身を 知りたかった。
なぜ こうなっているのか
どうして こうなったのか知りたかった。
ただ それだけのことだった。
私が自分を知りたいと思う
そのもっともっと前からずっと
読んでいたblogがあった。
娘が荒れに荒れた時
わたしはほんとにほんとに困って途方に暮れた。
もうどうしていいのかわからなかった。
そのときに、始めて
その方に「鑑定」をしてもらった。
そのときの一言が
核心をついた。
だから 私が変わった。
それで 娘も変わった。
その頃だっただろうか・・・。
blogに書かれていることが
ぜーんぜんわからなかったけれど
だんだん、わたしに関係する何かを言ってるんだってわかってきたのは。
知りたかった。
その何かが 知りたかった。
けれどまた
長い長い時間が かかった。
自分を知る勇気が出るまで
もう全部 ひっくり返して みてやろうと肚をくくるまで。
「肚をくくる」
そのチャンスをくれた人がいた。
肚をくくり、機会を伺い、そしてやっと師匠に逢えた。
「自分の中にある」という言葉が
意味を持った 瞬間
書かれた字が
空を漂っていた言葉が
一瞬前とは
まったく違うものに見えた。
それはまるで
ヘレン・ケラーが
「ウォーター」とは
掌を打つこの冷たい液体のことであると 気づいた瞬間のよう・・・。
長い長い時間が かかった。
けれど惜しくはない時間だった。
その月日が
今までの全てが
私をここに連れてきた。
「生まれてきてくれてありがとう。」
愛する人に言えたその言葉を
今、やっと
自分に言える。