タグ別アーカイブ: アファメーション

オレンジのアファメーション<社交>

キーワード < 社交 >

「私は分かち合うことで喜びを感じます」
「私はお互いに助け合うことを楽しんでいます」
「私は人との交流を楽しんでいます」

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人と人とが交わる。

たくさんの心とふれあう。

喜びも 悲しみも わかちあえると

そこに あたたかさがうまれる。

 

だから。

 

困っている人がいたら手をさしのべる

自分が困ったときは 助けて と言う。

足りないところを補い合えばいいだけ。

お互いに助け合えばいいだけ。

 

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ライムのアファメーション<再生>

キーワード < 再生 >

「私は一つのサイクルを終え新しいスタートを切りました」
「私は既に手にしたものを次のステージで活かしています」
「私は一瞬一瞬生まれ変わっています」

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朝が来て 夜が来る

夜が明けて 朝が来る

人が生きる それも一緒

 

 

一つのサイクルが終わった瞬間

次の扉が開く

 

 

日々 何かを経験し

瞬間瞬間 何かを感じ

 

 

人生も一緒

終われば 光になり

また 生れ落ちる

 

 

過去世でしたこと

今生ですること

輪廻転生はエンドレス

 

 

されど

因果応報

魂はいつも導いている

 

ライムのアファメーション<チャレンジ>

キーワード < チャレンジ >

「私には無限の可能性があります」
「私のチャレンジには希望があります」
「私は結果の如何を恐れません」

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新しいものごとに挑戦する

経験がないのだから怖い

予測がつかないのだから不安

それは 当たり前のこと。

 

だからこそ、自分で自分に制限をかけない

自分で自分を設定しない

ここまで出来ないと失敗

ここまで出来れば成功と

自分で ラインを引かなくて良い。

 

経験がない ということは

全てがある ということ。

どんな可能性も無限にあるということ。

 

 

イエローのアファメーション < エゴ >

キーワード < エゴ >

「私は自分の正直な考えや気持ちを伝えてよい」
「私は<わがまま>であってもよい」
「私は<理性>で考えることを放棄します」

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エゴ=自我 自己を対象とする認識作用

だから、生きてる限り「エゴ」はなくならない。

そして「理性」で考えるときも「エゴ」まみれになる。

 

<わがまま>はダメ <自己中>はダメ エゴイストは罪だ

幼い頃から繰り返し

言い聞かされ 諭され 禁止され。

 

けれど

ワガママとは思い通りに振る舞うこと

自己中心的とは事象を自分の立場あるいは一つの視点からしか分析・認識できないこと

ならば、所詮 人は そういうもの ではないだろうか。

 

だれでも そう なのだから自分を許す

そういう自分 であることを認める

そうすれば 他人を許せる

そういう他人を認められる。

 

エゴイストであっていい。

そう認めたときに エゴイスト でなくなる。

the パラドックス

 

コーラルのアファメーション

キーワード < 協調性 >

「私は自分の能力、個性をチームのために活かしてます。」
「私は自分が求められている役割を自発的に担うことができます」
「私はあらゆる状況に応じ
自分の役割を果たしています」

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協調性とは\\\

空気を読むことではない

周囲にあわせることではない

「右へならえ」でならうことではない

上の言うことに従うことではない

自分を犠牲にして奉仕することではない

 

協調性とは複数で何かに取り組むときに全体の状況を観つつ譲り合ったり助け合ったりしながら上手に運んでいくこと

つまり、全体をみながら自分の力を発揮して求められる役割を果たすこと

 

 

ときにはそれが 周囲とは違うことであっても

ときにはそれが 孤立することであっても

役割を果たす

それが協調するということ

 

 

イエローのアファメーション< 自尊 >

キーワード <自尊>

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「私は どんなときも 私が私であることを 許します」
「私は 自分が○○であることを 楽しんでいます」
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「私は ●● である」

「●●」は「短所」「欠点」等の あらゆる「否定」的なもの。

 

 

「私は 〇〇 である」

「〇〇」には「長所」「美点」etc.…の いわゆる「肯定」的なもの。

 

 

「●●」も「〇〇」も 口にのぼせば ただの「まるまる」。

決して 対極にあるのではなく

表裏一体 同じものであるのだけれど。

 

 

それを いつ 誰が

悪しきもの と決めたのだろう?

善きもの と認めたのだろう?

 

他者なくして 自己は解らず

己を解らずに、自らの力で立つことは能わない。

 

「私は ●● で ある。そして 私は ○○ で ある」

 

「けれど」でも「また」でも「だから」でもなく

順接の接続詞で 愛おしんで そう言える。

それが 自分を尊重するということ。

自分を確立するということ。

「独立」でも「孤立」でもなく

しなやかに 自ら立つということ。

 

ターコイズのアファメーション

キーワード<パートナーシップ>

「私は ○○さんがいてくれることに感謝しています」

「私と○○さんは 共に 成長しています」

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「その人が 自分の人生にいてくれて 嬉しい」

沸々と 湧いてくるその思いを

広義には 愛と呼ぶのかもしれない。

 

 

けれど

それは 愛よりも

もっともっと自由で流動的で

喜びに溢れ どこかワクワクとしているもの。

 

 

深い深い海の水面が

光を受け 輝いているようなもの。

 

 

そして

水が 蒸気になって立ち上ぼり

雲になり 雨になり

やがて川になり 海へ戻るように

形にならないもの。

 

 

形にはならぬ

形は変わる

されど

それは やはり 水。

 

 

生きとし 生けるもの

全てを 生かす 水。