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自分の「男性性」「女性性」を知ろう~バランス・チェックテスト~

心理学やカウンセリング、セラピーなどで言われる男性性、女性性とは、前回の記事に書いたように、男性性と女性性とは肉体的な性別ではなく、「性質」「要素」です。

セッションではよく「バランスをとると良い」と言います。それでは、どのような状態がバランスが取れているのか?と疑問を持つ人も多いのではないでしょうか?

今日はその「バランスの良い状態」をセルフチェックする方法をご紹介します。

【セルフチェック方法】※出典/アソシエーションカード・ファシリテーター講座から

① 男性性・女性性とは の記事中、それぞれの要素で自分にあてはまると思うものをカウントする。

例)赤 3/黄色 4/青 4/緑 1

② 自分の男性性と女性性の要素がどのタイプにあてはまるのかをチェックする

赤<男性性能動タイプ>四元素の火/いわゆる体育会系、体を使うタイプ 

黄色<男性性変化タイプ>四元素の風/インテリ系、頭を使うタイプ 

青<女性性受動タイプ>四元素の水/理想的なマリア様のようなタイプ 

緑<女性性安定タイプ>四元素の土/たくましい「おかん」のようなタイプ 

③ それぞれの性において最も数が多いところで自分がどのタイプかを判別する。

例)

赤<男性性能動タイプ> 3

黄色<男性性変化タイプ> 4

青<女性性受動タイプ> 4

緑<女性性安定タイプ> 1

よって、男性性<変化タイプ>×女性性<受動タイプ>

【解説】

これらの二つのバランスが良いときは現実でも特に大きな葛藤を抱えずにいられるが、バランスを崩しているときは、やはり何らかの葛藤を抱えたり、問題を抱えたりする。人間関係では、特に異性関係に出やすい。

ただし。

バランスが良いというのは、5対5でなければいけないわけではなく、8対2でもよい。人によってその割合は違う。

ということは。

潜在意識の観点から考えると、葛藤なく平凡でも穏やかな毎日を送っていられるときを基準として、自分のバランスポイントをチェックするとよいでしょう。

そのことによって、なんらかの不調を抱えたときに、不足しているポイントが明らかとなります

参考にしてください☆

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【手ごたえ】イエロー&ピンク

愛してる? うん 愛してる。

愛されてる? うん 愛されてる。

なのに 「手ごたえ」がないのはなぜだろう?

「手ごたえ」を「感じられない」のは なぜだろう?

 

自問自答し 内観する。

己の内に 光をあてる。

 

ああ そうか。

「手ごたえ」を求めてるからか。

 

手ごたえ=見返り

それは 愛 では ない。

わたし達にとっては。

 

【夢は叶うもの】イエロー&パープル

「宝地図」を作ったことはありますか?

あなたにとって
今、必要とするのはビジョンです。

あなたの欲しいもののイメージを
思い浮かべてみてください。

叶えたい夢を
イメージしてみてください。

それらはなぜ
夢や欲しいものとして
思い浮かべられるのか
少しだけ考えてみてください。

あなたがなりたいものや
行きたいところ
欲しいものは
他の誰でもが
行きたがったり
欲しがったり
なりたがったり
するでしょうか?

否。

それは
あなただから持った望み。
なぜなら
あなたの潜在意識の中で
それらは既に叶えられてあるもの。

実現するかどうかという
それに対する
心配や不安は
必要ありません。

さあ
思う存分
欲しいものを
地図に書き込んでみましょう。

欲しいものを
形にしましょう。

 

我がままと自由

我がままとは 周囲の意に関わらず、自分の意を押し通そうとすること。

自由とは 束縛をうけず、自分の思うままに振る舞えること。

 

自分の意を押し通そうとするときは

人は「自分の欲求」に縛られている。

そのときは「周囲の意」を

うっすらと気にしているはず。

 

自分の思うままに振る舞えるとき

人はどんな「束縛」も感じていない。

 

思ったことをただ「する」だけ。

そこには、どんな「不自由」もない。

 

 

イエローのアファメーション < エゴ >

キーワード < エゴ >

「私は自分の正直な考えや気持ちを伝えてよい」
「私は<わがまま>であってもよい」
「私は<理性>で考えることを放棄します」

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

エゴ=自我 自己を対象とする認識作用

だから、生きてる限り「エゴ」はなくならない。

そして「理性」で考えるときも「エゴ」まみれになる。

 

<わがまま>はダメ <自己中>はダメ エゴイストは罪だ

幼い頃から繰り返し

言い聞かされ 諭され 禁止され。

 

けれど

ワガママとは思い通りに振る舞うこと

自己中心的とは事象を自分の立場あるいは一つの視点からしか分析・認識できないこと

ならば、所詮 人は そういうもの ではないだろうか。

 

だれでも そう なのだから自分を許す

そういう自分 であることを認める

そうすれば 他人を許せる

そういう他人を認められる。

 

エゴイストであっていい。

そう認めたときに エゴイスト でなくなる。

the パラドックス

 

エゴ

人が自分のしたことに対して自信がなくなるときは、

それがエゴだったから。

無意識でそう感じてるから不安になる。

 

 

正しいとか間違いとか判断したがるのもエゴ。

自分は正しいって思いたいのもエゴ。

自分は間違ってたって思いたいのもエゴ。

 

 

でも。

どんな選択をしても大概はエゴ。

 

 

人はそういうもの。

「所詮、自分はエゴイスト」と認めるしかない。

 

 

そして。

エゴであった自分も含めそのときの自分にOKを出す。

エゴで判断したがる自分にもOKを出す。

所詮エゴイストである自分にもOKを出す。

 

 

出来ることはそれだけ。

生きてる限り。

 

イエローのアファメーション< 自尊 >

キーワード <自尊>

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「私は どんなときも 私が私であることを 許します」
「私は 自分が○○であることを 楽しんでいます」
***************************

 

「私は ●● である」

「●●」は「短所」「欠点」等の あらゆる「否定」的なもの。

 

 

「私は 〇〇 である」

「〇〇」には「長所」「美点」etc.…の いわゆる「肯定」的なもの。

 

 

「●●」も「〇〇」も 口にのぼせば ただの「まるまる」。

決して 対極にあるのではなく

表裏一体 同じものであるのだけれど。

 

 

それを いつ 誰が

悪しきもの と決めたのだろう?

善きもの と認めたのだろう?

 

他者なくして 自己は解らず

己を解らずに、自らの力で立つことは能わない。

 

「私は ●● で ある。そして 私は ○○ で ある」

 

「けれど」でも「また」でも「だから」でもなく

順接の接続詞で 愛おしんで そう言える。

それが 自分を尊重するということ。

自分を確立するということ。

「独立」でも「孤立」でもなく

しなやかに 自ら立つということ。