月別アーカイブ: 2018年4月

それは怖れが消えたから

【「本物」と「偽物」】

私にとっての 永遠とも思えるテーマ

もう長いこと その二極に葛藤を繰り返してきた。

 

色で言えば

インディゴが好き

オレンジが嫌い コーラルも苦手

 

隠遁体質で人付き合いが苦手な

私の性質から言えばまさにそのもの。

 

けれど。

 

 

↓ 2カ月前

そして

↓ 今

他にも オレンジとグリーンがあちこちに出てくる…。

正直、 イヤ  (笑)

 

でも しつこいので しぶしぶ セルフリーディング

***********

オレンジグリーン

人との交流に もう仮面をかぶらなくて良い

そのままに心を伝えていけばよい

もう「ありのまま」の私で良い 

本物になるために成長しようとする限り それは偽りの私のまま

本物になるために成長しようとする

その気持ちを手放すのが 私にとっての成長

**********

 

仮面をかぶらずにいても良い

隠遁体質で無問題

 

それを自分に許したとき

不思議と

嫌いだったこと

苦手だったことができるようになっていた

 

克服しよう 頑張ろうとすることをやめたら

嫌いだったこと

苦手だったことすら どうでもよくなっていた。

 

私が何かを克服できたわけではない。

努力して手にいれたわけではない。

 

ただ単に

それは

怖れが消えたから。

 

イエローのアファメーション < エゴ >

キーワード < エゴ >

「私は自分の正直な考えや気持ちを伝えてよい」
「私は<わがまま>であってもよい」
「私は<理性>で考えることを放棄します」

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エゴ=自我 自己を対象とする認識作用

だから、生きてる限り「エゴ」はなくならない。

そして「理性」で考えるときも「エゴ」まみれになる。

 

<わがまま>はダメ <自己中>はダメ エゴイストは罪だ

幼い頃から繰り返し

言い聞かされ 諭され 禁止され。

 

けれど

ワガママとは思い通りに振る舞うこと

自己中心的とは事象を自分の立場あるいは一つの視点からしか分析・認識できないこと

ならば、所詮 人は そういうもの ではないだろうか。

 

だれでも そう なのだから自分を許す

そういう自分 であることを認める

そうすれば 他人を許せる

そういう他人を認められる。

 

エゴイストであっていい。

そう認めたときに エゴイスト でなくなる。

the パラドックス

 

コーラルのアファメーション

キーワード < 協調性 >

「私は自分の能力、個性をチームのために活かしてます。」
「私は自分が求められている役割を自発的に担うことができます」
「私はあらゆる状況に応じ
自分の役割を果たしています」

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

協調性とは\\\

空気を読むことではない

周囲にあわせることではない

「右へならえ」でならうことではない

上の言うことに従うことではない

自分を犠牲にして奉仕することではない

 

協調性とは複数で何かに取り組むときに全体の状況を観つつ譲り合ったり助け合ったりしながら上手に運んでいくこと

つまり、全体をみながら自分の力を発揮して求められる役割を果たすこと

 

 

ときにはそれが 周囲とは違うことであっても

ときにはそれが 孤立することであっても

役割を果たす

それが協調するということ

 

 

「被害者」でいるのはラク

自分を無力と認定すれば、自分より力のあるものを作る

自分を「被害者」と認定すれば、対する「加害者」を作りあげる

 

悪いのはあの人

力のあるその人

世の中、政治、etc

 

虐げられた私

かわいそうな私

そんな私を見捨てる

あなたが社会が制度が悪い

 

だって私は「被害者」なのだから。

全ては誰かのせいなのだから。

私に責任はないのだから。

 

 

無力でいるのはラク

「被害者」でいるのはラク

 

 

けれど

そのままでいたら

いつまでも 力は取り戻せない

 

「権力が大きく見えるのはお前がひざまづいているからだ」

著述家の菅野完さんのラジオから聞こえてきた言葉

「権力が大きく見えるのはお前がひざまづいているからだ」

 

もちろん、彼が話していたのは今の政局、時事問題。

 

けれど。

 

まったく同じことが私達の日常で起こっている。

 

職場の上司

夫や恋人エトセトラ

 

自分より力が強いと思っている相手を

「権力」になぞらえれば

まさに そのとおり。

 

自分がひざまづいていたことに気づき

立ち上がって目を見て対峙する。

 

それこそが

自分を尊び

互いを尊ぶ姿勢

 

そして

立ち上がることは

自分にしかできないのだ。

「ひざまづいている」のは自分でしかないのだから。