【答えを探す】=【答えは手元にない】
よって 見つからない。
答えが欲しいなら 手元をみる。
既に手にしたものを観る。
4本リーディングをもっと活かして自分自身と向き合うために。
TCカラーセラピスト講座を受講なさった方
ご自身と向き合う、あるいはご家族やお友達などとのコミュニケーションのツールとして、
カラーを役立てていただいておりますでしょうか?
さて、お馴染みの4本リーディング
前回は心のブロックを見つける方法を紹介しました。
今回は、そこで浮かび上がった心のブロックを解除する方法をご紹介します。
【1】 リーディングでブロックを見つける
【2】 ブロックとわかった言葉の反対語を書き出す
【3】 反対語から連想する言葉を書き出す
【4】 連想する言葉をひっくり返す
例えば前回のリーディングで浮かび上がった【美】について。
「美」=「不平等」
美に対して、ネガティブな意識を持っていたことがわかりました。
ブロックとわかった言葉は この場合 「 不平等 」
ですので、反対語は 「 平等 」です。
反対語の「平等」から連想する言葉を書き出していきます。
平等=公平=差別がない=みんな同じ、一緒
という感じです。
※ちなみに 平等と公平は実は意味が違います!あくまでイメージです
さて。
出尽くしたら、最後の言葉をひっくり返します。
今回は「みんな同じ、一緒」で止まりました。
( ひっくり返す ) ↓
(もう一度ひっくり返す) ↓
最後に 全て つなげます
このように、言葉を一つ一つ吟味していくことで
心の奥深くにあったネガティブなもの、
心のブロックも書き換えていくことができます。
ブロックはゼロにすることはできません。
でも、気が付いたとき、浮かび上がってきたときが
そのネガティブな思いを手放すチャンス!
とはいえ。
潜在意識の中にあるブロックは決して「悪者」ではありません。
今までの あなたの人生を 導いてくれたもの
何かから身を守るために、あなたの中にいてくれたもの。
「今までありがとう!」という言葉とともに
愛おしんで 手放して いければ 良いですね☆
さて、お馴染みの4本リーディング
前回は「理論的」に掘り下げていく方法を紹介しました。
今回は、そこで浮かび上がったものから
【1】 スタンダードにまずリーディング
【2】 リーディングで気になった言葉を書き出す
【3】 書き出した言葉から連想する言葉を書き出す
【4】 ネガティブな言葉を拾いだす
この4本のリーディング
イエロー・ゴールド・オレンジ・コーラル です。
【1】 スタンダードにまずはリーディング
【2】 リーディングで気になった言葉を書き出す。
自分の望み・叶える・決断・勉強・情報・集める・役に立たない・お金・心配・執着・手放す・豊かさ・望んでよい・迎え入れて良い・華やか・目立つ・無限・無くならない・寂しさ・金銭・お金の知識・物質世界・変える・愛と美の教師・人はどれだけ愛を必要としているかをあなたは知っている・経験・愛・喜ばせる・卑下・羨む・磨く・ケアする・魂・自分自身を磨くことで人を美しくする
【3】 書き出した言葉に対するイメージを書き出す
今回は例として「美」という言葉を選びました。
・ 美 → 心地よい・快い → 幸せ
・ 美 → 感動 → 喜び → 与える
・ 美 → きれい・かわいい → 容姿・見かけ・外見 → 許される
こんな感じで連想してみましょう。
どんどん枝分かれしても構いません。
思いつく限り、書き出していきます。。。
【4】 ネガティブな言葉を拾いだす
さて。
【3】で書き出した連想の中で、なんだか違和感のあるものはありませんか?
美 → きれい・かわいい → 容姿・見かけ・外見 → 許される
え???
「美」=「許される」??
変ですよね?(笑)
このように、意外なことを自分が関連付けていたことが見えてきます。
さらにもう少し突っ込んで連想してみます。
「得」=「公平でない 平等でない」という言葉が連想されてきました。
平等でないとは「不平等」です。
「不平等」という言葉は、どちらかというと ネガティブに寄っています。。。
つまり
「美」=「不平等」
美に対して、ネガティブな意識を持っていたことがわかるわけです…。
このように、言葉から一つ一つ連想していくことで
心の奥深くにあったネガティブなもの、心のブロックが浮かび上がることがあります。
では、このネガティブなブロックはどうしたらよいのでしょうか?
潜在意識の中にこのブロックがあると
生きづらさを感じたり
満足感を感じられなかったり…
このブロックをなくしていく方法については
また順次、ご紹介していきます☆
惟うに、爾は観想によって救わるべくもないがゆえに、これよりのちは、一切の思念を棄て、ただただ身を働かすことによってみずからを救おうと心がけるがよい。時とは人の作用の謂じゃ。世界は、概観によるときは無意味のごとくなれども、その細部に直接働きかけるときはじめて無限の意味を有つのじゃ。悟浄よ。まずふさわしき場所に身を置き、ふさわしき働きに身を打込め。身の程知らぬ『何故』は、向後一切打捨てることじゃ。これをよそにして、爾の救いはないぞ。
中島敦「悟浄出世」
著述家の菅野完さんのメルマガで「この作品を読んでうつが抜けていった」とあった。どんなものか知りたくて、すぐに求めて読んでみた。1ページ目から、なぜか涙がじんわりと沸いてくる。結局、ぐすぐすと泣きながら読んだ。「うつが抜ける」どころではない。むしろ、「ぐるぐる」。「考えすぎスパイラル」に私は落ちていった。
私とは何か?
「私」=「先生」であったとき、私は先生であった。
「私」=「自由」になったとき、私は会社をやめた。
私の「私」に対する認定が、現実。
残酷なほど、寸分もたがわず。
それは確か。
ならば。
行うべきこと、行いたいこと、それに対しての「私」は?
私とは何か?私とは何か?私とはいったい何なのか?
ぐるぐる廻り、自分を切り刻み、ああでもないこうでもないと思考にはまる。いや、おそらく。コトはきっとすごくシンプル。もっともっと簡単なこと…。
小一時間、考えていただろうか。けれど。「考えてもわからない!もう、いいや!」と、考えるのをやめたとき、ふと「一切の思念を捨て」というくだりが浮かんだ。
と、なにかが 浮かび上がった。
「私」=「私」
もしかして・・・
もしかして、それだけ???
何がどうだからこうではなく
何をどうするか、だから、こうするでもなく
私が私自身でいるだけでいい。
「ふさわしき場に身を置き」
「ふさわしき働きに打ち込め」ばいい。
求めるものは、きっとそれだけで手に入る。