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正しい日本語を使いましょう

「お金がないと生きていけない」というのは間違い。

「衣食住がないと生きていけない」が近い。

 

「衣食住がないと生きていけない」もズレた日本語。

「衣食住があれば生きていける」が正しい。

 

ならば。

 

ホントに必要なものは「お金」ですか?

それ「衣食住」ではないですか?

 

着るもの そんなに必要でしょうか?

今、冷蔵庫にあるもの、食べきれますか?

起きて半畳 寝て一畳

豪華な持ち家 いりますか?

 

日本は少子化 若者は貧困

奨学金ローンで貯蓄ゼロ

 

<社会>が<制度>が<時代>が違う

「だから我が子は、困らないように」

大学のセンセが<非正規>なのに?

もはや【無理ゲー】 世は末も末

 

 

ホントはあなたもわかってる。

「お金がなくては生きていけない」

そんなの嘘だとわかってる。

「生きていくにはお金が必要」

それも嘘だとわかってる。

 

 

ホントに欲しいのは何ですか?

必要なものは何ですか?

 

 

ホントの望みを叶えるために

「正しい日本語」を使いましょう。

 

二項対立

「白か黒か」「AかBか」で判別するのは

この世が二元性の世界だから。

 

「白でなければ黒か」

「AでなければBか」で

選ばざるのを得ないのも

現実は二元性の世界だから。

 

では あるのだけれど

だからこそ

 

せめて、心の中の世界は

「白でも黒でも良い」し

「AでもBでもなくCはないかな?」であれば良い。

 

そして、心がそうあるときに初めて

二元性を抜けた世界に到達できる。

三次元で「現実」化する。

 

「現実」は幻想

自分の心こそが、今、味わっている「現実」

 

そして

集合的無意識が<そう>なったとき きっと

本当に現実が 変わる

 

「権力が大きく見えるのはお前がひざまづいているからだ」

著述家の菅野完さんのラジオから聞こえてきた言葉

「権力が大きく見えるのはお前がひざまづいているからだ」

 

もちろん、彼が話していたのは今の政局、時事問題。

 

けれど。

 

まったく同じことが私達の日常で起こっている。

 

職場の上司

夫や恋人エトセトラ

 

自分より力が強いと思っている相手を

「権力」になぞらえれば

まさに そのとおり。

 

自分がひざまづいていたことに気づき

立ち上がって目を見て対峙する。

 

それこそが

自分を尊び

互いを尊ぶ姿勢

 

そして

立ち上がることは

自分にしかできないのだ。

「ひざまづいている」のは自分でしかないのだから。

差別とは快楽

差別は、いわば暗黙の快楽なのだ。例えば、短絡した若者たちが野宿者を生きる価値のない社会の厄介者とみなし、力を合わせて残忍なやり方で襲撃する時、そこにはある種の享楽が働いているのだ。それは相手を劣ったものとして扱うことで自分を保つための装置でもあるから、不平等な社会では差別は横行する。そして、あたかも問題があるのは差別される側であるかのように人々の意識に根付き、蓄積されていく。

時の権力は、権力に不満が集まらないようにするためには、ただ、差別を放置するだけでいい。そうすれば、いつまでも分断されたシモジモ同士の争いが続く。

他方、差別される側は、差別の理由を求めてさまよう。その理由をなくせば差別されなくなると考えるからだ。しかし、差別するための「理由」は、いくらでも付け足される。結果、自らの努力ではどうにもならない状況が作り出され、多くは無力感を植え付けられていく。

【差別と日本人 野中広務/辛淑玉 より抜粋】

 

差別というと固いイメージがあるけれど、実は私達の日常生活の中で、いろいろな<差>をつけて<別>にしようとする意識が働いている。

 

例えば、あの人はお金があるから、家が〇〇だから、結婚しているから、離婚したから、etc…

 

相手を劣ったもの、あるいは自分よりも恵まれたものと位置付けることによって、我が身を守ろうとする。自分が劣っていると感じているものを正当化する。

 

そして、それが「正しい」ことになってしまっているので、自分は劣っていると感じ続ける。

 

その立ち位置にいるかぎり、堂々巡り。決して幸せになれることはない。

 

 

保身

公文書改竄問題

 

「答弁」に立つ官僚を見て

自己保身と感じる人もいれば

何かを守っていると感じる人もいる。

 

大きなものにすがろうとしつつ

力を憎む人もいる。

 

投影。

相手は鏡。

何をどう感じるかは、自分の内面を映しているにすぎない。