カテゴリー別アーカイブ: 【 つぶろぐ 】

日々、思ったこと、感じたことを勝手きままにテキトーに書いてます。

満願成就

自分の心の奥底にある

「思い」の澱のようなものを

丁寧に丁寧に

掬いあげて綴る

 

 

かつて私は

どんなことより

好きだった

その時間が。

 

 

そして

ある夜

手にしたのは

いつか「もの書きさん」を名乗れたら…という

小さな小さな野望

 

 

それは まるで

地から這い上り

芯で燃えるがごとき月

遠く 遠く

でも いつ いかなるときも

ゆらり 立ち昇る 野望

 

 

けれど。

 

 

そんな野望を手にしていたことさえ

既に忘れ

願うことすらなくなっていたのだ

もう 幾年も

 

 

されど

 

 

願うことすら忘れ

もがくことすらなく

なんの意識もしていないとき

時は満ちる

扉は開く

 

 

満願成就

 

 

燃ゆる月に

私は立っている

 

 

「悟浄」は「悟浄」

おもうに、なんじ観想かんそうによって救わるべくもないがゆえに、これよりのちは、一切の思念をて、ただただ身を働かすことによってみずからを救おうと心がけるがよい。時とは人の作用はたらきいいじゃ。世界は、概観によるときは無意味のごとくなれども、その細部に直接働きかけるときはじめて無限の意味をつのじゃ。悟浄よ。まずふさわしき場所に身を置き、ふさわしき働きに身を打込め。身の程知らぬ『何故』は、向後こうご一切打捨てることじゃ。これをよそにして、爾の救いはないぞ。

                        中島敦「悟浄出世」


著述家の菅野完さんのメルマガで「この作品を読んでうつが抜けていった」とあった。どんなものか知りたくて、すぐに求めて読んでみた。1ページ目から、なぜか涙がじんわりと沸いてくる。結局、ぐすぐすと泣きながら読んだ。「うつが抜ける」どころではない。むしろ、「ぐるぐる」。「考えすぎスパイラル」に私は落ちていった。


私とは何か?

「私」=「先生」であったとき、私は先生であった。

「私」=「自由」になったとき、私は会社をやめた。


私の「私」に対する認定が、現実。

残酷なほど、寸分もたがわず。

それは確か。


ならば。

行うべきこと、行いたいこと、それに対しての「私」は?

私とは何か?私とは何か?私とはいったい何なのか?


ぐるぐる廻り、自分を切り刻み、ああでもないこうでもないと思考にはまる。いや、おそらく。コトはきっとすごくシンプル。もっともっと簡単なこと…。

小一時間、考えていただろうか。けれど。「考えてもわからない!もう、いいや!」と、考えるのをやめたとき、ふと「一切の思念を捨て」というくだりが浮かんだ。

と、なにかが 浮かび上がった。



「私」=「私」

もしかして・・・

もしかして、それだけ???



何がどうだからこうではなく

何をどうするか、だから、こうするでもなく

私が私自身でいるだけでいい。

「ふさわしき場に身を置き」

「ふさわしき働きに打ち込め」ばいい。

求めるものは、きっとそれだけで手に入る。

豊かさ

「豊かさ」と一言でいっても、

人によって何を「豊か」と感じるのか違う。

 

ある人にとっては「お金や財産」であったり

ある人にとっては「人との交わり」だったり。

 

そこで。

私の場合は何だろう?とボトルに聞いてみた。

 

クリアー「手放す」

イエロー「自由意思」

そして ライムの 達観。。。

 

 

手放すと手に入る。

 

なるほど☆

パラドックスだ。

ありのままの私

「ありのまま」について考えていたら

突然、こんなイメージが振ってきました。

***

私のお肌はボコボコしてて シミだらけ

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体のあちこちがごつごつしてるし

下半身が太いし

その割には上半身が細くて

スタイルが悪いんです

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そうやって 泣いてる声が聞こえました。

 

え?と 振り向いたら  この子でした。

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そして「梨汁ブシャー」ってはじけました

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・・・あ。

 

凹んでる部分

凸っている部分

それがあってヨシって

そこまでわかってたけど

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まんまるじゃなくてヨシって

ツルツルじゃなくてヨシって

言い聞かせていたけど

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ラ・フランスが

まんまるなはずないじゃんね?

ツルツルなはずないじゃんね?

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もし まんまるでツルツルなラ・フランスがいたら

そいつは作り物じゃんね?

むしろ梨汁ぶしゃーが いいじゃんね?

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もしかして

もしかして

ありのままって そーゆーこと?

 

私の

ありのままって

ラ・フランス

 

私の

ありのままって

梨汁ぶしゃー

 

 

ああ

 

深淵なテーマなのに

なぜか

梨汁ぶしゃー

すごくすごく納得してしまった私。。。(;´Д`)

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ラ・フランス は ラ・フランス

凸凹あって それで完ぺき

 

そんなことばが 掌におちてきたのは

「無条件の愛」って なんだろうと 考えていた

七夕の翌朝の出来事でした。

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葛藤した今日の私も

葛藤した過去の私も

葛藤するいつかの私もみんな(・∀・)オッケー!

 

梨汁ブシャーも

鼻汁ブシャーも オール(・∀・)オッケー!

 

ありのままの私 ありのままのあなた

どんなときでも 全て(・∀・)オッケー!

 

無条件 って そういうこと
ありのまま って そういうことクローバー

 

それはまるで「奇跡」の瞬間

「だれかが水をくんでいるところでした。先生は私の手をその水の吹き出し口の下に置きました。冷たい水が片方の手の上をほとばしり流れている間、先生はもう片方の手に”water”という単語を、始めはゆっくりと、次には速く、綴りました。私はじっと立って、先生の指の動きに全神経を集中させました。突然私は、なにか忘れていたものについての微かな意識、わくわくするような思考のよみがえりを感じました。そして、どういうわけか、言語の持つ秘密が私に啓示されたのです。  私はその時、 w-a-t-e-r という綴りが、私の手の上を流れている、この素晴しい、冷たい物を意味していることを知ったのです。この生き生きとした単語が、私の魂を目覚めさせ、光と希望と喜びを与え、(暗黒の世界から)解き放ったのです。実のところ、まだ越えなければならない障害はありましたが、その障害もやがては取り払われるはずのものでした。」

出典ヘレンケラー第2章(2)

 

 

セラピストになりたいと 思ったことはなかった。

「セラピストを目指す」なんて なんだか変だった。

私は 自分の心を 知りたかった

自分自身を 知りたかった。

なぜ こうなっているのか

どうして こうなったのか知りたかった。

ただ それだけのことだった。

 

 

私が自分を知りたいと思う

そのもっともっと前からずっと

読んでいたblogがあった。

 

 

娘が荒れに荒れた時

わたしはほんとにほんとに困って途方に暮れた。

もうどうしていいのかわからなかった。

そのときに、始めて

その方に「鑑定」をしてもらった。

そのときの一言が

核心をついた。

だから 私が変わった。

それで 娘も変わった。

 

 

その頃だっただろうか・・・。

blogに書かれていることが

ぜーんぜんわからなかったけれど

だんだん、わたしに関係する何かを言ってるんだってわかってきたのは。

 

 

知りたかった。

その何かが 知りたかった。

 

 

けれどまた

長い長い時間が かかった。

自分を知る勇気が出るまで

もう全部 ひっくり返して みてやろうと肚をくくるまで。

 

 

「肚をくくる」

そのチャンスをくれた人がいた。

 

肚をくくり、機会を伺い、そしてやっと師匠に逢えた。

 

 

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「自分の中にある」という言葉が

意味を持った 瞬間

書かれた字が

空を漂っていた言葉が

一瞬前とは

まったく違うものに見えた。

 

 

それはまるで

ヘレン・ケラーが

「ウォーター」とは

掌を打つこの冷たい液体のことであると 気づいた瞬間のよう・・・。

 

 

長い長い時間が かかった。

けれど惜しくはない時間だった。

 

 

その月日が

今までの全てが

私をここに連れてきた。

 

 

「生まれてきてくれてありがとう。」

愛する人に言えたその言葉を

今、やっと

自分に言える。